玉川大学へ提出する課題がある、国語だ。
しかし、残念なことに私の文才は…いまだに恥ずかしがっていて外には出てこない。
あるいは既に俺の文才は、どこかの女でもはべらせて
あぁ、いやいや、やめておこう。
今日は
よみうりランドへ行く前日なので、ちょっとわくわくで眠れないのだ!
そこで、提出する課題に書いた「作文」を載せたいと思う。
これが今の精いっぱいだが、将来的にはこれが
立派な文章になるのだと思うと胸が熱いのです。
大きくなって帰ってこいよ!!
テーマは
自分の好きな動作
「書く」
「書く」と言っても、いろいろな意味がある。紙にペンを使って文字を「書く」とも言うし、パソコンを使って文字を「書く」とも言う。私が好きだと挙げる「書く」という動作は、この後者にあたる。
ところが、昔の私は「書く」という動作があまり好きではなかった。それどころか、むしろ嫌いとさえ思っていたのだ。なぜなら「書く」という動作は非常に面倒くさいものだからである。黒板の内容をノートに写すことも、作文を考えることも、手紙を作る時も、全て「書く」という動作に繋がるのである。
しかし、「書く」という動作には同時に「伝える」という動作も含まれているのではないだろうか。人が何かを「書く」ときは、それを「伝えたい」相手が居るからこそ成り立つのだと私は思う。
例えば、私は今、インターネットでブログを運営している。ブログとはネットに公開している日記のようなもので、私の場合はその日に思ったことや感じたこと、気付いたことをただ、だらだらと書いているのだ。
初めのうちは、面白半分で作ったサイトだったこともあり、たまにしか日記を書かず、ただただ、インターネットにサイトとして存在しているだけだった。
だが、たまにしか日記を書くのではつまらない、毎日「ネタ」を探し、毎日「どうしよう」と悩むからこそ楽しいのではないだろうか。そう考え、日記を書いていくうちに、次第に楽しさが生まれてきた、その日に書く日記のことを考えるだけで暇な時間が全て潰れていくのである。そのうち、2、3人でも読者がつくと、いよいよ日記を書くことを止められなくなってくるのだ。相手に文字を伝えることが快感にも近い感情を生むのである。
それが、今まで面倒くさくて仕方がなかった「書く」という動作を、捉え方を少し変えるだけで非常に好きな動作へと変えたのだ。
ちなみに、ブログは2年前に書き始めているのだが、今でも毎日書いている、そして、これから先も毎日「書く」だろう。「書く」という動作が好きで、好きで、どうしようもないのだ。
まとブロれ!
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